1925年8月出版

No. A015.01  萬里の長城(八達嶺)

萬里の長城は甘肅省嘉峪關より起つて直隸省の山海關に至る連亘實に日本里程にして約千七百餘里に及べる城塞である、今日の時代から觀て其の有用的價值を斷ずる事は出來ないが兎に角世界第一の建造物たる事に相違はない、城壁の高さは十五尺乃至三十尺、壁上の廣さは十五尺乃至二十尺、壁上殆ど一定の距離(三百六十尺と稱す)を置て烽火臺を構へてある、築材には磚瓦と石とを用ゐ極めて堅牢である、八達嶺は北京よりの長城見物に最も便利な處で汽車に依り容易に行ける處である。

万里长城(八达岭)

万里长城起于甘肃省嘉峪关,连绵不绝地直达直隶省山海关,实际长度按日本里程算约达一千七百余里。虽从如今时代角度观之,难以断定其有用价值,但无论如何,其作为世界第一之建筑物确无疑义。城墙高十五至三十尺,墙上宽度十五尺至二十。城墙几乎每隔一定距离(称为三百六十尺)便筑有烽火台。其建筑材料为砖瓦与石头,极为坚固。八达岭是从北京参观长城的最便利处,可乘火车便利抵达。

No. A015.02  萬壽山の景(北京)

萬壽山は一名頤和園とも云ひ、北京西直門外約十キロの西北に在る。

山下に昆明湖があり汪洋として玉泉を湛ヘ、又園內には勤政殿、怡春堂を始め輪奐の美を極めた數多の殿閣があり、全く名實共に北京第一の名園である。

万寿山之景(北京)

万寿山又名颐和园,位于北京西直门外西北约十公里处。

山下有昆明湖,水域汪洋乃蓄玉泉之水。此外,园内尚有勤政殿、怡春堂等众多极尽华美之殿阁,实乃名副其实的北京第一名园。

No. A015.03  萬壽山の石舫(北京)

萬壽山下昆明湖の中に恰も大なる屋形船を泛ベたるが如く設ヘてあるもの、大部分大理石を以て造られ壯麗を極めて居る、其昔西太后在世の時は常に此の船內で遊宴を催された相で有名なものではあるが年遷星變清朝は滅亡し今は只前代榮華の記念物として水にうつる影さヘ淋しく昔を物語つて居る。

万寿山之石舫(北京)

此乃设于万寿山下昆明湖中,宛如泛着一艘巨大屋形船之建筑。其大部分以大理石建造,极其壮丽。往昔西太后在世时,常于此船内举办游宴,故颇为有名。然而岁月变迁,星霜移转,大清已亡,如今仅作为前代荣华之纪念物,连水中倒影亦在寂寥地诉说着往昔。

No. A015.04  駱駝(北京)

駱駝の行列は北京名物の一つである、薪炭、穀物、其の他重い物をよく運搬し、一頭二百四十瓩(四百斤)位迄は負荷し、步行は恰も牛の如く鈍いが、それでも一日五十粁(十二三里)位は行くと云ふ、馬夫ならぬ駱駝夫一人で、七頭の駱駝を率ゆるのが普通であると。

骆驼(北京)

骆驼队是北京名物之一。其善搬运薪炭、谷物及其他重物,每头可负载至二百四十公斤(四百斤)左右。其步行虽如牛般迟缓,但据说一日仍能行进约五十公里(十二三日里)。通常并不需要马夫,而靠一骆驼夫即可牵引七头骆驼。

No. A015.05  水賣り(北京)

北京には水道の設備がなく皆掘井戶の水を用ゆ、中には良い水もあるが、不透明で稍鹹味を有するのが多い、市民は良い水を甜水、惡い水を苦水と呼んで居る、中流以上の家庭では甜水を買つてゞも飲むが、下流の者は水錢の安い苦水を沸して用ゐて居る。

寫真は今水賣りに出かけ樣とするところ。

卖水人(北京)

北京并无自来水设施,皆用掘井之水。其中虽有良水,但多为不透明且稍带咸味之水。市民称良水为甜水、劣水为苦水。中等以上家庭会购买甜水饮用,而下层民众则靠煮沸价廉之苦水来使用。

双语《亞細亞大觀》第15回-北京与天津

照片为卖水人正欲出门售卖之时。

No. A015.06  文廟石皷の一部(北京)

文廟は孔子の靈を祀れる祠であつて、孔子廟とも云ふ、北京孔子廟の大成門內左右の栅内に安置されてある、高さ二尺餘、徑一尺二寸餘のもの、總てゞ十箇ある、この石鼓は東國時代即今より約三千餘年前周の宜王の時代のもので碑文の種類中最古のものである。

文庙石鼓之一部(北京)

文庙乃祭祀孔子灵位之祠,亦称孔子庙。此石鼓安置于北京孔子庙大成门内的左右栅栏之内。高约二尺余,直径约一尺二寸余,共有十个。此石鼓为东周时代,亦即约三千余年前周宣王时代之遗物,乃碑文种类中最古老者。

No. A015.07  北清戰役記念碑(天津)

一部の支那人の間に無暗に排外熱が高まりそれが蔓延し勢を加ヘ遂に暴動團と化して。凡ての外國の施設及人命に對し害惡暴行を加ふるに至つたが清國自ら之を鎮壓する事が出來なかつたので各國が聯合して之と戰つて鎮定したのが我明治で三十三年の北清戰役、當時最も勇敢に働いたのは勿論我日本軍であつた。

年往き星遷り今はこの天津日本租界の公園に建てられてある一基の碑によつてのみ紀念せらるるに過ぎない。

北清战役纪念碑(天津)

部分中国人盲目排外热情高涨,其势蔓延加剧,终成暴动团伙,乃至对所有外国设施及人命施暴。因清国自身无力镇压,各国遂联合作战遂将其平定,此即日本明治三十三年之北清战役。当时最为勇敢作战者,自乃日本军队。

岁月流逝,星霜更迭,如今仅存于天津日本租界公园内所建之一碑以示纪念。

No. A015.08  李公祠(天津)

李公嗣は前清光緒時代の偉人李鴻章を祀れるところ、光緒三十一年清國皇帝の建てられたものである。

規模の宏壯なること、よく偉人の功績の大なりしを表徵す。

李公祠(天津)

李公祠乃祭祀前清光绪时代之伟人李鸿章之所,光绪三十一年由清国皇帝所建。

其规模之宏壮,足以象征伟人功绩之巨大。

No. A015.09  李公祠の祭門(天津)

李公祠の多くの社殿皆宏壯にしで結構なるが、就中この祭門は最も美麗にして實に嘆美に值するものがある。

樓柱、蘭干、花臺等、其彫工装飾の精巧を極めたる、真に一門よく支那の近世美術の粹を以て成るかの觀がある。

李公祠之祭门(天津)

李公祠内众多社殿皆宏壮而结构精良,其中尤以此祭门最为美丽,实有值得赞叹之处。

楼柱、栏杆、花台等,其雕工装饰极尽精巧,真使人觉此一门乃集结了中国近世美术之精华而成。

No. A015.10  宴席

之は支那料理店に於ける支那人の酒宴の光景である。ポーイに案內されて室に入ると、夏冬に拘らず熱湯から絞りたてのタオルを吳れる、之れで顏や手を拭ひ西瓜子か南瓜子を食ひ乍ら茶を飲み料理を待つ、宴會では大概一卓子幾圓と值段を決める、值段の高い程料理の量も多く、種類も多いわけである、藝者は特に呼ばなくても他の室に來て居るのが廻て來て酌をして吳れる。

宴席

此乃中国饭店中的中国人酒宴之光景。由侍者引导入室后,不论冬夏,皆会递上热腾腾刚拧干之毛巾。客人以此擦拭脸手,边嗑西瓜子或南瓜子,边饮茶等待菜肴。宴会大抵按每桌几圆定好价格,价格越高,菜肴分量越多,种类亦愈多。艺妓即使不特意召唤,亦会从其他房间过来巡回斟酒。

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