您没看错,是第1回。不过,这不是《亚东印画辑》,而是另一本画辑《亚细亚大观》。这两本画辑,都出自于上世纪二十年代的大连,两本画辑从创始人、刊载内容、画辑风格均高度相关,两者的详情容后再说。此前,本公众号一个月内连载了10回《亚东印画辑》,还没太想好如何再连载《亚细亚大观》,所以计划先连载10回再说。
双语版《亚细亚大观》第1回 – 大连之一
(1924年6月出版)
No. 001.01 正金銀行支店(大連)
大連市の中央大廣場にありヤマトホテルと對立す、日露戰爭のころ我軍の金融機關として明治三十七年八月設立せられ、大連最古の銀行なり。
滿洲に於ける銀券(支那通貨の銀貨に對する兌換券)發行をなし、特產物の取引資金に當て、對歐米為替は主に本行に於て取扱はるゝもの多し。
横滨正金银行支行(大连)
位于大连市中央大广场,与大和宾馆(ヤマトホテル)相对。日俄战争时期作为日本军的金融机构,于明治三十七年(1904年)八月设立,是日本在大连最早的银行。
该行在满洲发行银券(相对于中国通货银元的兑换券),充当特产交易资金,且主要经办针对欧美的外汇业务。
No. 001.02 朝鮮銀行支店(大連)
大連市の中央大廣場にあり、大正五年工を起し九年竣成す、花崗岩及白煉瓦混造にして結構精致を極む。
大正六年從來正金銀行に屬したる金券「邦貨に對する兌換券」の發行權當行に移り、同時に國庫事務を取扱ふ事となり、正金銀行と共に大連に於ける二大銀行なり。
朝鲜银行支店(大连)
位于大连市中央大广场,大正五年(1916年)动工、九年(1920)竣工,其花岗岩与白砖混建的构造极为精致。
大正六年(1917),将原属横滨正金银行的金券(相对于日圆的兑换券)发行权移交至本行,同时开始经办国库事务。其与横滨正金银行一道,并称大连的两大银行。
No. 001.03 警察署(大連)
明治三十八年六月、關東州民政署の編成なりて其一分課として警務部を設け警察行政を行はせ、爾來二十年種々組織に變遷あり民政署より獨立し警務署として警務、保安、衛生等事務を取扱ふ。大正十四年名稱を大連警察署と攺む、大連大廣場中最も古き建築物の一なり。
警察署(大连)
明治三十八年(1905)六月,随着关东州民政署的组建,其下设的警务部作为分部负责警察行政事务。此后的二十年历经多次组织变迁,从民政署独立出来后成为警务署,经办警务、保安、卫生等事务。大正十四年(1925)改称大连警察署。此建筑是大连大广场中最早的建筑之一。
No. 001.04 ヤマトホテル(大連)
五國飯店とも稱し市の中央大廣場にあり、ルネツサン式の宏壯なる建物にて、大正三年より五箇年を費して竣工せるもの、建坪六百六拾坪客室百拾五室を有三百人な容るゝ宴會食堂あり、其他設備至らざるなし、宿泊は純洋式にて室料一人一日金參圓五拾錢以上、食事朝食一·五〇圓、書食二·五〇圓、夕食三·〇〇圓なり。正面の銅像は初代關東都督大島義昌大將なり。
大和宾馆(大连)
亦称五国饭店,位于市中央大广场,为文艺复兴风格的宏伟建筑。自大正三年(1914)起耗时五年竣工。建筑面积六百六十坪,拥有客房一百一十五间,设有可容纳三百人的宴会餐厅,其他设施也一应俱全。住宿为纯西式,房费每人每日三·五〇円起。餐费:早餐一·五〇円,午餐二·五〇円,晚餐三·〇〇円。其正面的铜像是首任关东都督的大岛义昌大将。
No. 001.05 民政署市役所(大連)
大廣場にありヤマトホテルと隣す。
總工費四十萬圓を費し大正八年四月竣成す。大連市は大正四年特別市制を布かれ半數議員は官選なりしが、大正十三年純然たる自治制度となれり。人口今や十五萬人郊外を合すれば貳拾萬人を超ゆ、內日本人七萬人、滿蒙開發の機漸く熟せんとする今日本國の將來期して待つべし。
民政署和市役所(大连)

位于大广场,毗邻大和宾馆。
总工程耗费四十万円,于大正八年(1919)四月竣工。大连市是按大正四年(1915年)颁布的特别市制而设立,半数议员为官选,至大正十三年(1924)已实施了纯粹的自治制度。现人口已达十五万人,若包含郊区则超过二十万人,其中有日本人七万人。值此满蒙开发时机渐趋成熟之际,其对日本国的未来值得期待。
No. 001.06 滿鐵本社(大連)
大連市東公園町の中央にあり、本建築物は元露西亞統治時代商業學校校舍なりしを滿鐵が之に數拾萬圓在投じて改築及增築をなら現在の如き壯大なるものとなる、復古式にて總建坪二六八五坪、約二千人の男女社員が此內に働て居る、滿鐵は明治三十九年十二月七日の設立に係り資本金四億四千萬圓、半官半民營にて其出張所を東京、ハルビン、上海、紐育に公所を奉天外五箇所に置てある。
满铁本社(大连)
位于大连市东公园町之中央。该建筑原为俄治时代的商业学校校舍,满铁投入数十万円进行改扩建,方成如今之宏大面貌。其复古式风格的总建筑面积二千六百八五坪,约有二千名男女职员在此工作。满铁设立于明治三十九年(1906)十二月七日,资本金四亿四千万円,为半官半民性质,其除了奉天外,还在东京、哈尔滨、上海、纽约共设立了五处公所。
No. 001.07 埠頭事務所(大連)
大連港頭に聳ゆる大建物の一なり。年額七億圓の貿易に對する鐵道、倉庫、船舶等の凡ての業務が此建築物の中で整理されて居る。輸出品は大豆、豆粕、豆油、其の他の雜穀、石炭を主とし大正十一年度參億八千萬圓。輸入品は石油、麻袋、麥粉、金物、其他雜貨品大正十一年度參億餘圓。
码头事务所(大连)
其是耸立于大连港口的宏大建筑之一。涉及年交易额七亿円的铁路、仓库、船舶等一切业务均在此楼内办理。出口商品以大豆、豆饼、豆油及其他杂粮和煤炭为主,大正十一年度(1922)出口额三亿八千万円。进口商品主要包括石油、麻袋、面粉、五金及其他杂货等,大正十一年度(1922)进口额达三亿余円。
No. 001.08 埠頭待合所(大連)
大連港頭船車連絡場にあり、設備の完全規模の廣大且美觀なる事蓋し東洋に冠たり、屋内には切符賣場、朝鮮銀行出張所、案內所、電信取扱所を始め、各種賣店及支那料理店、和洋料理店等あり、定期船の發著每に送迎の人を以て滿たされ、此所に吞吐する旅客は一箇年四十萬人を降らず、夏季は屋上を開放して市民の納凉場に充つ。
码头候船厅(大连)
位于大连港口的船车联络场。设备完善、规模宏大且美观,堪称东洋之冠。室内设有售票处、朝鲜银行办事处、问讯处、电报受理处,以及各种小卖部和中餐馆、日餐及西餐馆等。每逢定期船班到港出港时,这里都挤满了迎送之人,此处的年旅客吞吐量不下四十万人。夏季其开放之屋顶,可充作市民的纳凉场所。
No. 001.09 埠頭船車連絡(大連)
大連港は、不凍港にして東洋唯一の自由貿易港なり、明治三十一年露支条約により、露國が東洋進出の大商港を企劃し築港に着手せしが、日露戦争の結果滿鐵の手に移り大增築を加へ、現在最深三十七尺の岸壁は三十六区に分たれ二萬五千噸級以下三十六隻の船舶を同時に岸壁に繋留し年額六百萬噸の貨物を吞吐し得べし、構內は凡て鐵道により貨物の搬出をなし、又内陆連絡船に対しては、旅客列車在此處に著發せしめ、貨客共に船車聯絡の設備完備し居れり。
码头的船车联络(大连)
大连港为不冻港,也是东洋唯一的自由贸易港。根据明治三十一年(1898)之清俄条约,俄国将其作为进入东洋的大商港而着手筑港。日俄战争后,其转入满铁之手,经大规模扩建后,现今最深三十七尺的岸壁被分为三十六区,可同时停泊三十六艘三万五千吨级以下的船舶,年货物吞吐量可达六百万吨。场内全部通过铁路进行货物搬运,针对通往日本内陆的联络船,旅客列车也可在此到发,是兼具了客货两用的完善船车联络设施。
No. 001.10 日本橋(大連)
市の中央に位し大連驛を隔て舊露西亞町と本市街とを連絡す。
工費拾五萬七千圓鐵筋石造にして規模廣大大連に於ける一美觀なり。
橋上より西を望めば、臺子山の容姿富士山を彷佛せしむ、名けで大連富士の稱あり。橋下は大連驛構内なり。
日本桥(大连)
地处城市中心位置,隔大连站连接了旧俄国街与城市中心区。
工程耗费十五万七千円,为钢筋混凝土的石造结构,规模宏大,也是大连的一处美景。
从桥上西望,台子山的容姿会令人联想到富士山,故亦有“大连富士”之称。桥下即为大连车站之站区。